『このひより』運営チームのウィルソンです。
事例紹介では、サービスを利用いただいた方々の反応や、実際のインタビューや本の様子をお届けしていきます。
今回ご紹介するのは、ずっと続けてきた家業の工場を閉じることになった父へ、娘夫婦からの贈り物です。
あくまで一つのギフトの形としてお読みいただきながら、「自分だったら、こんな場面で贈りたいな」とイメージを膨らませていただければうれしいなと思っています。
贈り手さま/語り手さまのご紹介
「父が工場を閉めることにしたんです。その節目に、これまでの仕事の日々をインタビューしてもらえませんか?」
今回このひよりにご依頼くださったのは、宮崎県に住む有紀さん・陽一郎さんご夫妻です。同じく宮崎県内で自動車工場を営んでいる有紀さんのお父さん、裕三さんへの退職の贈り物としてインタビューを選んでくれました。
裕三さんのお父さんが立ち上げた自動車工場は、経営が傾き始めたところで裕三さんが後を継ぎました。きっと大変だったに違いない工場運営ですが、「苦しそうな姿は見たことがない」と有紀さんは言います。
「父は、私の前では仕事の話はあまりしなかったんです。でも、人生の大きな一部だったはず。ずっと守ってきた工場を手放す節目に、『おつかれさま』と伝えたいし、リアルな記憶を残しておきたい」
事前のオンライン打ち合わせで、ご依頼の背景を教えてくれた娘の有紀さん。今まであまり知ることのなかった「働く父」の話を聞き、裕三さん自身も「無事に終えられてよかった」と改めて思えるような時間にと、工場を閉める直前にインタビューすることが決まりました。
インタビュー当日の様子
このひよりでは、基本的に「対面取材」しています。実際に思い出深い場所を見せていただいたりしながら、同席する贈り手との空気感なども含めて本に残すためです。ただ、今回はインタビュー場所が遠方であったこと、工場が閉まるタイミングに合わせてインタビューを行いたかったことなどから、試験的にオンラインでのインタビューを試みました。
画面越しに映る自動車工場のオフィスで、語り手の裕三さん、贈り手の陽一郎さんと有紀さん、お孫さんまでが集まり、インタビューがスタート。聞き手(このひより・ウィルソン)は現地を訪れたことがないので、周りの景色や土地の歴史から順番に伺っていきます。
裕三さんの幼少期や学生時代の話にも遡りました。有紀さんはまだ生まれていなかった、お父さんの若い頃の話。「やんちゃしてたって聞いたけど?」と、有紀さんからの質問も挟みながら和やかに話が進みました。
また、今まではあまり話してこなかった会社経営の苦しさや葛藤にも触れ、「父として」ではなく「ひとりの働く人」としての裕三さんの姿についても聞きました。「娘には、苦しい思いもさせたくなかったし、あんまり仕事の話はしなかったですね」とぽつりつぶやく裕三さんを、有紀さんはやさしい目で見守っていました。
できあがった本
今回の本は、裕三さんの記憶を、時間軸に沿って人生を追いかける形で作成しました。工場がある土地にまつわる幼少期の思い出や家族の話から始まり、就職した頃、家業を継いで自動車工場に戻ってきたときなど、裕三さん自身の「語り」で全体を構成しています。
本当は高校を卒業したら、すぐにでも仕事がしたかったんです。車にも興味があったし、すぐに整備したいなと思って。でも、資格があった方がいいからっていうことで、取るためには専門学校に行けっちゅうことでね。親父がどうしてもって。
僕は行く気がなかったんですけど、高校の担任が「今回ぐらいは親の言うこと聞いてやれ」っちゅうことで、しぶしぶ福岡の専門学校に行ったんですよ。−−“第1章 父の背中を見ていた子ども時代” より
継いですぐの頃は、まあずっとつらかった。自分の取る分はないし、毎月の支払いをどうやってしようかっちゅう、もうそればっかしですね。給料日になると「どうしようか」、支払日になると「あーどうしようか」。月に2回は悩んでました。
ただ、娘の前ではそういう姿は見せたくないって思っていたから、それは頑張ったよね。なんでも欲しいものは買ってあげようって。
当時、有紀はまだ幼稚園くらい。何かを買ってもらえなかったとか、恥ずかしい思い、寂しい思いは絶対にさせたくなかったから。うん、それだけは絶対に頑張ろうって。−−“第2章 傾きかけた工場に帰ってきたのは” より一部改変
そして、現在に追いついたところで、有紀さんとの「対話」の章も入れさせていただきました。当日のおふたりの会話がとても穏やかで、今だからこそ交わし合えた言葉をそのまま残しておきたいと思ったからです。
有紀 私が中学時代、反抗期でイライラしてて、お母さんにちょっと強く当たったときがあったよね。その時にお父さんが「あんまそうやってしたらいかんよ」って言ったのは、なんか初めてやったかな。
裕三 まあ、そうやったかな。
有紀 ちっちゃい頃も「これが欲しい!」って言ったとき、「我慢も大事よ」とか言われたけど、私がトイレかなんかで泣いてたら、それを見て「あ、じゃあ買いに行くけ」みたいな。そういう感じですごく甘かった(笑)。だから、その中学校の時にそう言われたのが、すごく思い出に残ってる。
裕三 うん。
有紀 私が結婚するときも、相手がどんな人っていうよりも、もう、私が幸せになるならもうっていうので言ってくれたしね。基本的に、すごく優しいんだよね。
−−“第3章 【対談】娘と一緒に振り返る、仕事のこと” より一部改変
また、本の終わりにあるエピローグでは、贈り手のひとりであり、義理の息子にあたる陽一郎さんにも登場していただき、改めて家族からの「おつかれさま」を伝える本としてまとめることに。裕三さんも「無事に閉じられてホッとしている」と何度もおっしゃっていて、改めてこのタイミングでの安堵の気持ちを文章にさせていただけたことを嬉しく思います。
贈り手さま/語り手さまより
贈り手:陽一郎さま
少し照れながら受け取ってくれ、恥ずかしいとも嬉しそうともとれる表情でページを開く姿が印象的でした。自分たちも改めて拝読させていただきましたが、天候や空気感まで蘇るような瑞々しい言葉で綴られ、この本を開く度にあの日のことを鮮明に思い出すのだろうと感じました。
これから時間が過ぎて行くほど、義父の工場で働く姿や言葉が懐かしく蘇ることと思います。今となっては二度と帰ってこない田上自動車で働く義父の姿をこのような形で残すことができたことを本当に嬉しく思います。